今日は病院の予約の日なのに、どうしても行くことが出来なかった。
うーん、これは甘え、かな。「行く気がしなかったから」かな。
そういう気持ちになってしまうとどうしても重い腰が上がらない。

それと、ネット仲間のTさんのHPを見た。
Tさんは数日前から、「希死念慮」というもので入院している、と書いてあった。
愕然とした。
Tさんは以前から多数の心の病を患っている方。
でもそれに負けないで生きて、好きな人と昨年、結婚式もした。
まだ新婚さん^^

内心、「幸せなはずなのにどうして」と思った。
「希死念慮」というのは「死にたい」と思ってしまうこと。
その為に、遺書を用意したり、身の回りを整理したりしてしまうのだ。
そういう人は任意で入院をする。
Tさんのコメントを読んだ時に、涙が出た。何故だか最初は分からなかったけど・・・
おそらく「共感」してしまったんだと思う。

私も正直、「死にたい」と思ったこともある。
何かあった時のために「遺書」も用意しようとしたこともある。
でもそれだけは避けてきた。

Tさんはそうならざるを得ない、心の状態にあるのだ。
壮絶で凄まじい、心中だと思う。

「私には何もしてあげられない」
「心の中は今、嵐のようなんだろうな」
「Tさんがこんなに辛い思いをしているのに、私は・・・」

と考えて、涙が出た。

心の病には「完治するもの」と「一生、共存していかなければならないもの」がある。
完治してもまた再燃したりするし、共存もそこまで辿り着くのは相当の努力と忍耐、苦労が必要だろう。

私は生来、「ワガママな性格」である。だから神様が心の病を私に授けたのだと思う。
そうでなければ、他人の気持ちを考えたり、他人の痛みを考えたりなんてしなかったと思う。
心の病が無ければ、もっと最低にワガママな人間だったと思う。
きっと今ごろ、我が物顔で街を歩いていたかも。

でもやっぱり心が病むと苦しいし、辛い。

なんで心は病むんだろう。人の心って何処に在るんだろうか。

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